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ラストエンペラー溥儀の子孫は?愛新覚羅の末裔は日本に?【爆報!フライデー】

更新日:

2017年12月1日の『爆報!THE フライデー』「天城山心中事件」が取り上げられました。

これは、ラストエンペラーこと溥儀の姪と日本の青年の身分違いの恋による悲しい結末の事件です。

 

ラストエンペラーの姪の話が取り上げられたことで、ふと、ラストエンペラー溥儀の子孫はいるのかどうか、いるのならどこで何をされているのかが気になり、調べてみました。

 

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ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の子孫は?


出典:Wikipedia「愛新覚羅溥儀」

 

5人の妻

映画『ラストエンペラー』の題材ともなった中華圏最後の皇帝、清の第12代皇帝であった愛新覚羅溥儀ですが、生涯で5人の妻がいました。

1.婉容 (えんよう、Wan Rong)

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2.文繡 (文綉/ぶんしゅう、Wenxiu)

3.譚玉齢 (たん・ぎょくれい、Tan Yuling)

4.李玉琴 (り・ぎょくきん、Li Yuqin)

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5.李淑賢 (り・しゅくけん、Li Shuxian)

  
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生涯で妻が5人もいた愛新覚羅溥儀ですが、子供は出来ませんでした。

 

中国でなぜ4文字の苗字?

ちなみに、私たち日本人の多くにとって中華系の姓は一文字が多いというイメージがあり、そのため「愛新覚羅」という姓は不思議に思えます。

これは、清が満州において建国され、広くモンゴルと中国一体を支配・統一していたためで、満州族の溥儀も姓が「愛新覚羅」と、満州族の姓になっているのです。

日本語では「あいしんかくら ふぎ」と読みますが、満州語では「アイシンギョロ・プーイー」というようです。


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溥儀には子供がいませんでしたが、溥儀に関係する愛新覚羅一族の子孫は全くいないかと言うとそうではなく、溥儀に近い関係では溥儀の弟や妹たちの子孫が残っています

中でも、溥儀の弟、溥傑(ふけつ)の子孫は日本にいらっしゃるのです。

 

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ラストエンペラーの弟、愛新覚羅溥傑と子孫

溥儀の実の弟、溥傑は昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(さが ひろ)とお見合いで結婚し、日本に移り住みます

この嵯峨浩さんは自伝を出しています。

 


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また、溥傑自身も自伝を書いています。


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夫婦には長女の慧生と次女の嫮生の2人の子供が生まれました。

長女の慧生さんは、天城山心中事件で知られている方です。

詳しくはWikipediaを参照ください。

 

次女の嫮生さんは現在もご存命で、結婚後、姓が愛新覚羅から福永となり、現在は福永嫮生さんとして知られています。

 


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兵庫県に在住のようです。

伯父、溥儀が生きた時代の証言や、父母から学んだこと、その他、自身の体験を基に、日中の友好に尽力されたり、戦争体験の講演などをされているそうです。

 


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などがあります。

 

溥儀には溥傑の他にも弟や妹がいましたが、彼らはその後どうなったのでしょうか?

 

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その他の愛新覚羅一族の子孫

ラストエンペラー溥儀には、上で触れた溥傑の他にも弟や妹が多くおり、全部で11人きょうだい(うち弟が3人、妹が7人)でした。

 

溥儀の弟や妹とその子孫

溥傑(1907年-1994年)上に記載の通り、二女をもうけた。

溥倛(1915年-1918年)3歳に満たず昇天。

溥任(1918年-2015年)改名し「金友之」に。三男二女をもうけた。


韞瑛(1909年-1925年)潤良と結婚、子供なし。

韞龢(1911年-2001年)改名し「金欣如」に。一男三女をもうけた。

韞穎(1913年-1992年)改名し「金蕊秀」に。二男一女をもうけた。


出典:維基百科「金韫颖」

韞嫻(1914年-2003年)改名し「金韞嫻」に。一男一女をもうけた。

韞馨(1917年-1998年)改名し「金蕊潔」に。三男一女をもうけた。

韞娛(1919年-1982年)改名し「溥韞娛」に。一男四女をもうけた。

韞歡(1921年-2004年)改名し「金志堅」に。二男一女をもうけた。

 

溥儀の他の弟や妹たちは、溥傑のように日本で表立って知られているわけではないため、それぞれの方がその後どのような人生を過ごされたのかについては、日本ではあまり知られていないようです。

ただ、それぞれの方の経歴を見ると、中国では小学校の先生をされていたり、託児所を運営されたりと、民間人としてそれぞれの方面で活躍されていたようで、またお子さんも多いですね。


↓ 満洲国皇帝時代の溥儀


出典:Wikipedia/愛新覚羅溥儀[CORBIS]

 

姓を「金」に変更

溥儀の弟や妹たちの多くが「金」という姓に改名しています。

その理由は、清が滅亡した後、多くの愛新覚羅氏はこれまでの満州族の姓から漢民族の姓に変える必要があったためです。

そのため、愛新覚羅一族の方々は姓を「金」などの漢姓に変えたと言われています。

 

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現在では、もともとの愛新覚羅一族だった子孫は、満州族の姓である愛新覚羅に戻しても良いようになったそうですが、そのまま使い慣れた漢姓を使い続ける方も多いようです。

そのため、愛新覚羅の姓に戻した人もいれば、それ以外にも現在の姓からは一見するとわからないけれど、実はどこかしら愛新覚羅一族の血を引いているという人々は結構いるようです。

 

 

これまでの話をまとめてみると、ラストエンペラー溥儀の直系の子孫がいるかということに関しては

  • ラストエンペラー溥儀の直系の子孫は残念ながらいない
  • 溥儀の弟、溥傑の子孫は日本にいらっしゃる
  • 溥儀のその他の弟や妹の子孫は中国にいらっしゃる


ということになります。

 

↓ 右に立つ溥儀と醇親王に抱かれる弟の溥傑(1909年)
可愛らしいですね。


出典:Wikipedia/愛新覚羅溥傑

 

それでも、溥儀の実弟である溥傑の子孫が現在も日本にご存命だということ、その他、現在でも中国には多かれ少なかれ愛新覚羅一族の血を引く方々が結構いらっしゃるということは、嬉しいことですね。

 

歴史的人物の子孫に関連して言うと、西郷隆盛の子孫も数多く残っていらっしゃるようです。

毎年、西郷隆盛の命日には「西郷の親族の会」の方々が集まるそうですが、その数は1000人にもなるのだとか。

<関連記事>

【西郷隆盛の最後は味方が原因だった?新説や新たな肖像画も出現!】

 

まとめ

ラストエンペラー溥儀の子孫が現在もいるのかどうかについて、調べてまとめてみました。

激動の時代を生きたラストエンペラー溥儀と愛新覚羅一族の方々の生の体験談が受け継がれ、世に広く知られて行くといいですね。

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