今年は西郷隆盛が注目を浴びていますが、西郷隆盛に関する様々な話が出て来ています。
西郷隆盛の最期については、自ら命を絶ったと言われていましたが、それとは違った新説があるようです。
また、教科書などにも載っていて多くの人が西郷隆盛だと認識している肖像画は、本物ではないとも言われています。
そんな中、西郷隆盛の子孫の方たちが本物であると確信しているという新しい肖像画の正体が明かされました。
出典:Wikipedia/西郷隆盛
この記事では、西郷隆盛の最期にまつわるこれまでの説と新説について、そして新たな肖像画についてご紹介したいと思います。
西郷隆盛の最後のエピソードはどうなっている?
西郷隆盛の最期にまつわるエピソードについては、一般的にこのように語られています。
1877年、西郷隆盛が率いる薩摩軍は政府の官軍に追いつめられ、鹿児島の城山に逃げ込みます。
激しい戦いにより、40数名いた薩摩軍は次々と官軍の銃弾を浴び、西郷隆盛自身も同じく銃弾を2か所に受けます。
出典:Wikipedia/西郷隆盛
そこで西郷隆盛がとった行動は、そばにいた別府晋介に
「晋どん、晋どん、もう、ここらでよか」と言い、将士が跪いて見守る中、襟を正し、跪座し遙かに東に向かって拝礼した。
出典:Wikipedia/西郷隆盛
と言われています。
また、この言葉は西郷隆盛の最期の言葉ということになります。
そして
遙拝が終わり、別府は「ごめんなったもんし(御免なっ給もんし=お許しください)」と叫んで西郷の首を刎ねた。
出典:Wikipedia/西郷隆盛
と言われています。
つまり、西郷隆盛ら薩摩軍と西郷隆盛の盟友であった大久保利通らの政府軍との戦い(西南戦争)の中、官軍の放った銃弾を浴び、そこで自決の覚悟を決め、別府晋介が介錯をした、ということになります。
よく西郷隆盛は切腹で最期を遂げたとも言われていますが、検証からわかっていることは、厳密にいうと切腹はせず、介錯によって亡くなりました。
ただ、介錯は西郷隆盛が別府晋介にあらかじめ頼んであったもので、西郷隆盛の意志によるものであるため、最期は西郷隆盛が自ら命を絶ったという表現も間違っているわけではないと言えます。
これが、これまで一般的に言われていた西郷隆盛の最期にまつわるエピソードですが、実は西郷隆盛が受けた銃弾は官軍によるものではなく、味方によるものだったという新たな説があります。
[char no="5" char="シロクマ"]え、味方?
西郷隆盛は人望あついと言われているのに、味方によって亡くなったとはどういうこと・・・?[/char]
では、その新説とはどのようなものなのか見てみましょう。
西郷隆盛の最期にまつわる新説:銃弾は味方のもの
TV番組『たけしの新・世界七不思議大百科第5巻 英雄たちの死の謎』では、 作家の伊東潤さんが新説を紹介しています。
撃った人に関する記録がない
新説の理由としてまず挙げられているのが、政府側の資料に誰が西郷隆盛を撃ったのかという記録がないことだそうです。
普通であれば、それほどの大きな功績をあげた兵士であれば、兵士の名前が残っているはずですが、そういったものが残されていないのだそうです。
そのため、伊東潤さんは西郷隆盛は政府軍によって撃たれたのではなく、味方の兵士によって撃たれたと見ているそうです。
では、なぜ西郷隆盛は味方の兵士によって撃たれたのでしょうか?
「愛」ゆえに
その理由は、一言で表すと「漢(おとこ)の愛」によるものだったそうです。
伊東さんによると、西郷隆盛は実は政府軍に投降し、それにより自分たちが決起した意義を国民に問うつもりでいたのだと考えられるそうです。
しかし、それを許せなかった男たちがいました。
一人目は薩摩軍の総司令であり、西郷の側近であった桐野利秋。
出典:Wikipedia/桐野利秋
彼は西郷の側近であっただけでなく、年上の西郷を神のように崇めていたといいます。
そのため、「最期は一緒だ」という男の愛がありました。
伊東潤さんによると、「西郷隆盛を誰にも渡したくない」という強い思いから、桐野利秋はそれなら自分の手で、と銃弾を放ったということです。
そして二発目を撃ったのは、もう一人の側近であった村田新八だったと伊東さんは言います。
出典:Wikipedia/村田新八
彼は桐野の気持ちを理解し、「西郷隆盛を決して敵の手には渡さない。ここで終わりなら、最期は自分たちの手で」と西郷を撃った、とのことです。
西郷隆盛の側近たちは、西郷隆盛に対する崇敬の念というものがとても強く、そのために「自分たちの西郷隆盛」、そしてひいては「自分の西郷隆盛」という思いが強かったそうです。
それだからこそ、誰にも自分の西郷隆盛を渡したくないという思いから手をかけたのでは、ということです。
西郷隆盛はその実直で公平、裏表のなさなどの人柄から、男女ともに非常に人に好かれたと言われています。
特に、新しい日本を作るという大きな目標に全身全霊をかけて共に歩んでいた部下や側近たちにとって、神として崇めるほどの西郷隆盛が敵の手に渡るのは、どうしても許せなかったのかも知れません。
また別の説も
別の説では、薩摩軍決起は西郷隆盛の意志ではなく、西郷隆盛はただ士族たちに担ぎ上げられただけのため、投降をして決起の意義を国民に問うつもりなどなかった、とする見方もあるようです。
そのため、上でご紹介したのはあくまで伊東潤さんの説ではありますが、様々な要素を合わせると、つじつまが合う話だと感じるところもあります。
続いて、西郷隆盛の親族が全身鳥肌が立ったという、新しい西郷隆盛の肖像画についてご紹介します。
西郷隆盛の新たな肖像画
これまで広く知られている肖像画は、イタリア人の画家キヨッソーネが描いたものですが、キヨッソーネは実際には西郷隆盛に会ったことはなかったそうです。
キヨッソーネの肖像画
出典:Wikipedia/西郷隆盛
そこで、キヨッソーネは顔の上半分を西郷隆盛の弟、西郷従道をモデルに、そして顔下半分を従兄弟の大山巌をモデルとして、その他、親族の証言による西郷隆盛の性格や身体的特徴をあわせ描いたと言われています。
西郷隆盛の親族の会
西郷隆盛の子孫や親戚は今もおり、西郷の親族の会というものがあるそうです。
西郷隆盛の親族の方々が毎年命日に集まるそうで、全部で1000人ほどもいらっしゃるそうです。
西郷隆盛の弟、西郷従道のひ孫の西郷正道さんや玄孫の松澤光邦さん、西郷真悠子さんたちによると、肖像画としては、一般的に知られているキヨッソーネの肖像画が西郷隆盛像として一番しっくり来るということです。
その理由というのは、その肖像画には西郷隆盛の象徴的なものが込められているからのようです。
肖像画に込められた象徴
西郷隆盛の肖像画の顔の上半分のモデルとなった弟、西郷従道は西南戦争後、日本の海軍を創設し、また、顔の下半分のモデルとなった従兄弟の大山巌は陸軍を創設しました。
そのため、西郷隆盛自身は亡くなったけれども、日本の近代国家の軍隊を築いた二人には西郷隆盛の精神(スピリット)が受け継がれているということで、キヨッソーネが描いた肖像画が一番しっくり来るのだそうです。
また面白いことに、西郷隆盛の親族の会の西郷真悠子さんによると、今でも親族は目がギョロっと大きい方が多いのだそうです。
またそれとは別に、西郷隆盛の子孫・親族の方たちが「これこそ本物」だと感じている、新たに見つかった肖像画があることが明らかにされました。
新たに見つかった肖像画
1月4日(木)放送の『ごごナマ X 西郷どんSP』では、西郷隆盛の妻、糸の弟のひ孫である若松宏さんによると、最近新しく見つかった西郷隆盛の肖像画を見た際、身震いで毛穴が全開状態になってしまったほどだったそうです。
親族の方々がその肖像画に身震いし、これこそ本物だと感じる理由は、以下の2点だそうです。
- 目の上にこぶのような盛り上がりが描かれていること
- 髪の生え際辺りが少し禿げたようになっていること
というのも、親族の間で聞かされていた話では、西郷隆盛は国政などに関して考え事をする際、キセルを目の上や髪の生え際に当てる癖があったそうです。
そのため、キセルの熱で目の上や生え際が軽い火傷をしたり、禿げてしまったため、それを正確に描写してあるこちらの肖像画は、まさに本物の西郷隆盛を描いたものだと確信できたのだそうです。
番組内では、西郷隆盛のひ孫、西郷隆文さんがこの肖像画に対し、優しさと侍の強さが入り混じったものと表現していました。
これらの話をまとめてみると、
- キヨッソーネが描いた肖像画は、西郷隆盛の精神や象徴を表している
- 新たに見つかった肖像画の方は、実際の姿の西郷隆盛が描かれている
と言えそうです。
この肖像画は現在、鹿児島県鹿児島市にある西郷南洲顕彰館に展示されているそうです。
テレビで公開された肖像画を私も見たのですが、私個人の感想では、キヨッソーネが描いた肖像画とそれほど違わないような・・・というとこが正直なところでした。
強いて言うと、新たな肖像画の方がもうちょっとゴツ目な印象だった、というところでしょうか。
ただ、西郷隆盛の親戚や子孫の方々のお話を考えると、やはり子孫や親戚の方には感じられる何かがあるのかも知れません。
今でも歴史的な人物の子孫の方々が残っていらっしゃるのは、なんとも不思議な感じがしますね。
ラストエンペラーこと溥儀の子孫も残っており、その一部が日本にいらっしゃるのですが、そのことも私としては意外で興味深く感じました。
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まとめ
西郷隆盛の最期についての新説や新たな肖像画について簡単にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。
西郷隆盛の最期にまつわる説については諸説ありますが、いつか決定的な証拠が見つかり、その真実が明らかになる日が来るかも知れませんね。